
トロントの街からほぼ真北に伸びるハイウエイ404を50分ほど走ると、広々としたトウモロコシ畑や、牛や馬が放牧されているファームが車窓の風景となる。ゴルフ場も見えてくる。良く整備されたグリーンがうねるように伸び、ゆとりのあるコースを歩くゴルファーたちがいる。
そんな風景の先にある小さな街クィーンズビル。そこへ今年の3月に引っ越してきた。13年近く住んだ前の家は、公共の森に囲まれ毎日が野生動物との遭遇といった環境だった。なにせ裏庭にリスやラクーンは毎度のこと、鹿や狼までもが出没していたのだから。
今度の家も「田舎」だが、どちらかというと真っ平らなファームがどこまでも続く土地。散歩道で、のんびり昼寝している牛の群れを見たり、スケールの大きな人参畑や大豆畑など、今まで住んでいたところと全く違う景色を楽しんでいる。
それでいて、人里離れた1軒屋というわけではなく、まわりにはちゃんと人家が連なっている。車で10分も行けば大きなプラザがあり、買い物は便利だし、郵便局でもお店でもちょっと信じられないくらい、皆がすごく親切でひとなつっこい。トロントの街中で、差別っぽい意地悪をされた経験が少なからずあるが、ここでは拍子抜けするくらい、いやな思いをしたことがない。
クィーンズビルの「クィーン」とは、英国のビクトリア女王をさす。それまでは町の角にあった店の名をとって「Hackettユs Corners」というのが町名だったが、1843年ビクトリア女王に敬意を表し「Queensville」と改名されたのだ。日本語にすると、「女王の街」というわけだ。
なんとも平和そのもので、少々退屈な町なのだが、実はある事件をきっかけに、クィーンズビルの名前はカナダ全国に知れ渡ってしまった。
1984年10月、地元のクィーンズビル小学校に通う9才のクリスティーン・ジェソップが行方不明になった。学校からの帰り道、自転車で近所のジェネラル・ストアに寄ってガムを買ったクリスティーンは、そのあと公園で友達と会うはずだったが、どうしたことか、誰もいない自宅へ一旦帰り、家の中に自転車を置き、彼女の背では届くはずのない一番高いフックにジャケットをかけた後、消息を断ってしまったのだ。
町中の人々が、何日も捜索に協力したが、彼女は見つからなかった。そして、2ヶ月以上たった大晦日にクリスティーンの遺体が発見される。あまりにも悲惨な状態だった。いったい誰がこんなむごいことを・・・。それは魔女的な儀式か、狂信的な影が見え隠れするような殺人だったのだ。
静かな町クィーンズビルは、毎日のように押し寄せる報道陣と警察の捜査のために、すっかりヒステリックになっていく。事件の様子から顔見知りの犯行だろうという疑惑が、町中の人々を疑心暗鬼にさせ、子供を持つ親たちは神経過敏になり、家の外で子供が遊ばなくなった。
その頃、容疑者の第一候補は、ジェソップ家の隣りに住んでいたギー・ポール・モランだった。モラン一家は近所から変人呼ばわりされていた。昼間はずっと家に引きこもり、夜になると大工仕事や自動車の改造を始めたり、テレビを夜中から朝までずっと見ていたりしたからだ。
中でも息子のギー・ポールは30近いというのに、ガールフレンドもいない。クラリネットを吹いたり、蜜蜂を裏庭で飼ったりという風変わりな若者で、クリスティーンの捜索に協力しなかったばかりか、葬儀にも参列しなかった。
警察側は、ギー・ポール・モランの逮捕にやっきになった。彼のアリバイをくずすために、クリスティーンの母親に当日帰宅した時間について、嘘の証言を強制し、モランが属するブラスバンド部に婦人警官を送り込んで、彼の髪の毛を取り、証拠をでっち上げ、とうとうモランを殺人犯として逮捕した。
信じられないような虚偽が警察によって、組織的に作られていく経過は、トロントのジャーナリストが出版した700ページにおよぶドキュメンタリーに詳細に書かれている。
それから1995年までにモランは無罪判決、有罪判決を繰り返し、やっとDNA判定で身の潔白を証明し、無罪放免となった。しかし、無実の罪で屈辱の10年間を費やしたモランが失ったものは、政府から後に受け取った謝罪と賠償金で埋め合わせることはできない。
現在モランは、かつて繰り返した裁判の支援者であった女性と結婚し、子供に恵まれ、トロントに住んでいる。
一方、ジェソップ家も、もうクィーンズビルには住んでいない。事件はほぼ迷宮入りになってしまった感があり、被害者の家族は、一生悪夢から覚めることができないのだろうか。本当に気の毒だ。
ひょんなことでクィーンズビルに住むようになってみて、しばらくの間は、町へ出るのもちょっとおよび腰だった。彼女が通った小学校や最後に目撃されたジェネラル・ストアの前を通るたび、何度もテレビや新聞で見た、すき間のある前歯を見せて笑っているクリスティーンの顔が頭の中をよぎる。
せめて真犯人が捕まっていたら、クリスティーンも、そしてジェソップ家も少しは救われるのに、と思う。
この町の便局員に事件のことをそれとなく聞いてみたら、あのセンセーショナルな出来事は、過去に葬られたようだ。もう誰も口にしないという。
クィーンズビルは、静かで退屈な町に戻っている。
2001年11月15日
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