
日本から招かれた講師「花つなぎ会」の木村さんと吉浦さん
今回は日本から刺子作家の吉浦和子さんとキルト作家の木村美和子さんが講師として招待され、6日間連続でワークショップを開き、たいへん盛況だった。
お忙しいスケジュールを縫うようにして、おふたりにインタビューの時間を割いてもらった。
東京八王子市を拠点とする「花つなぎ会」は22人の会員を抱えるキルト同好会。すでに発足して10年になる。 「このたび日本のキルトを特別展示する機会に恵まれ、約30点の作品を持ってきました。花つなぎ会には200点近い会員の作品がありますから、厳選するのが大変でしたよ。これまでに、シアトルのキルトミュージアムで2年に1度の割合で3回の展覧会を開いていますが、カナダは初めてです。何人かの会員もカナダへ同行するはずだったんですが、トロントの新型肺炎の影響で、吉浦さんと私だけが来ました」と残念そうに木村さんは語る。 会場では、日本風の家具や提灯などを上手にアレンジしたコーナーに日本のキルトが展示され、ジャパネスクの雰囲気たっぷり。たんすの奥で眠っていた古い着物の端切れが、美しい一幅の見事な芸術作品となって息を吹き返している。 想像していたアーリー・アメリカンのパッチワーク的な作品はほとんどなく、桜をモチーフにしたもの、急須と湯のみの楽しいデザイン、渋い色調でデザインした雷神など、独自のスタイルが興味深い。
「以前はキルトと言えば、アメリカ風のパッチワークデザインがほとんどでした。でもアメリカで、私の先生が日本の生地を使ってキルトを作り始めたのに感化され、着物の生地で日本のシンボルを表現しようって思ったんです」 誰からも袖を通されなくなった古い着物の生地が、キルトになって蘇る幸せを実感するという。木村さんの作品は大作が多いので、時には1つの作品を仕上げるまでに8ヶ月近くかかるそうだ。
吉浦さんが指導したワークショップの生徒は、ほとんど白人の女性だったが、彼女たちが楽しみながら作った刺子の眼鏡ケースは、とてもオシャレで気が利いていた。 「もともと刺子は、日本の作業着を補強するための技術でした。例えば、胸のところに厚い布を当てて丈夫にするため、刺子で縫い付けたりしたんです。だから、最初の頃の刺子は本当に単純な縫い目でした。でも、誰かが刺し続けていくうちに、変わった縫い目を作り出し、それから色々なデザインへと広がっていったんです」 日本人になら馴染みの深いオーソドックスな刺子パターンだけでなく、モダンなパターンも吉浦さんは積極的に取り入れている。紺と白のコントラストが清々しく、作品の数々はまさに「ディスカバー・ジャパン」の感がある。
吉浦さんは、面白いエピソードを話してくれた。 何年も前のこと、毎年クロワッサン誌が募集する「黄金の針コンテスト」に吉浦さんや木村さんたちは自分の作品をそれぞれ応募した。残念ながら誰も入賞しなかったが、その作品を東京のある店で展示していた。 ちょうど来日中だったポール・マッカートニー氏と今は亡き妻リンダさんがその店を訪れ、リンダさんは吉浦さんの刺子をたいへん気に入り、いくらで売ってくれるか尋ねた。 吉浦さんは作品を売るつもりはなかったので、冗談で「そうねえ、もしコンテストで大賞を取っていたら、100万円貰えたんだけど・・・」と答えた。 マッカートニー夫妻は、しばらくしてから店を出て行った。翌日、ビジネスマンらしい日本人男性が店を訪れ、「あの刺子をぜひ売ってください」と持っていたアタッシェケースを開くと、現金100万円を差し出したのである。 彼は音楽業界に勤める人で、ちょうどマッカートニー氏との契約を交渉中だったらしい。果たしてリンダさんへのプレゼントが功を奏し、契約はめでたく成立したかは知るよしもないが、吉浦さんはびっくりするやら、嬉しいやら・・・。 木村さんは、たまたまその場に居合わせなかったので、「一生に一度のチャンスを逃しちゃった!」と笑う。 キルトや刺子の作業は、ひとつひとつ心を込めて一針ずつ縫う手仕事。誰にも目を向けられなかった生地に息を吹き込み、花を咲かせること。そして、作る人たち自身にも花が咲く。 「花つなぎ会」は、これからも大輪の花を咲かせ続けていくことだろう。 初出:「日加タイムス」2003年7月11日号 |
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