
約5万年前の氷河時代、ベーリング海峡をはさんだアジアと北アメリカは陸続きだった。マンモスやバイソンを追って、狩猟民族はシベリアからアラスカへと渡ってきた。北米の先住民と私たち日本人は、同じ先祖につながるわけである。15世紀、ヨーロッパ人が北アメリカに到着した当時、すでに北極地方を含め、アメリカ全土に定着していた先住民は、約600部族を数えた。 毛皮の取引が始まり、ヨーロッパ人は先住民から、新しい植物(じゃがいも、玉ねぎ、とうもろこし等)、ポップコーン、メープルシロップ、薬草の数々を学び、逆に先住民は馬(それまでは徒歩か犬を連れて移動していた)、銃、ビーズなどの装飾品、鍋釜類、アルコールを手に入れることができた。 しかし、ヨーロッパ人が新世界へ持ち込んだ物の中には、天然痘や麻疹もあり、伝染病のために部族が全滅することもあった。次々と到着するヨーロッパ人は、新天地を開拓し、西へ西へと土地を求めて移住していった。 19世紀半ばまでにヨーロッパ人が築いた新政府と先住民の間で、さまざまな条約や調印された。先住民には特別居留地の制定、年金などの経済的援助、狩猟や漁業の保証、3年毎の衣類の無料支給などが約束されたのである。 しかし、これらの条約は裏返せば、わずかな居留地と引き換えに先住民が統治していたほとんどの土地を奪い、文明化の奨励を理由に英語を強制し、キリスト教に改宗させ、彼らの言語や文化を忘れさせようとした、白人中心の身勝手なものだった。確かに先住民は敏速に文明化し、北米式のライフスタイルに順応した。だが、彼らの失ったものは、あまりにも大きかったと言えるだろう。 戦後、先住民自身のアイデンティティーや文化継承の復活を願う風潮が広がり、1951年「カナディアン・インディアン法令」が改正された。この法令で、先住民がより平等な和解を求めて政府と交渉することが可能になったのだ。 30年に渡った交渉後1998年調印されたニシガー条約では、BC州の北西部に位置するニュー・アイヤンシュを先住民の自治領と認め、補償金1億9千万ドルを連邦政府が支払うことになり、先住民のマイルストーンを刻んだ。
カナダの場合、厳密に言うと@ファースト・ネーションAイヌイットBメイティーという3つのグループに分かれる。 15世紀コロンブスがアメリカ大陸を発見したとき、彼はインドに到着したと信じ、先住民をインディアンと呼んだことは周知のとおりだ。この呼称は何世紀にも渡って浸透していたが、先住民自身はファースト・ネーションと呼ばれることを好み、現在は公的に「ファースト・ネーション」が正式呼称である。 北方準州の先住民で、エスキモー(生肉を食べる人の意)と呼ばれていた人々も、今ではイヌイット(人の意)という呼称が確立している。 メイティーはカナダ西部の先住民とヨーロッパ系の混血で、1938年メイティー・ベテーメント条約で特別居留地を受けとり、1980年に連邦政府から正式に先住民として認められた。
ファースト・ネーションの有名なダンスの一つに「パオワオ」がある。他の部族との社交を兼ね、それぞれの衣装で着飾った老若男女が踊る楽しいイベントだ。ダンスは「母なる大地との対話」と言われ、足を踏みならすスタイル。足や衣装に鈴を沢山つけることもある。 先住民の根源には、自然(神)が与えてくれたものに感謝する姿勢がある。病気や怪我の治療にも自生する植物や木の実を使って治すことが多い。医療だけではない。彼らは代々に渡って、動物や植物やすべての自然は人間と密接に関わっていることを知っていた。 先住民と親交が深い日系三世のデイビッド・スズキ博士は、彼の著書「年長者の知恵」の中でこう語る。 「私たちは、先住民が持つ知恵と科学者のテクノロジーをオーバーラップさせて、自然環境に対応していくべきだ。現在、科学者のリーダーたちが言っている内容は、すでに先住民の年長者が幾世代も語り継いだことである。今こそ私たちは自然と調和して生活することを学ぶべきである」 (2005年5月29日) |
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