カナダのニュース

「対話の時代」に向けて新鮮な現代口語演劇を創造する
劇作家・演出家・青年団主宰 平田オリザ氏
青年団プロジェクト公演「ヤルタ会議」

 舞台の真ん中にある簡素なテーブル。それを囲む3つの椅子の背には、ひらがなで「ちゃーちる」「るーずべると」「すたーりん」の文字が読める。

 第二次世界大戦末期にソ連の保養地、ヤルタに集まった英・米・ソの3人の首脳たち。平田オリザ氏が演出する「ヤルタ会談」は歴史上の事実をちりばめ、会話はざっくばらんな現代口語である。

 歴史に残る重要人物たちが、無邪気にお菓子を食べ、自分で入れたお茶を飲んだり、トイレに立ったりしながら、ひらがなで書かれた名前が示唆するように、幼稚な思惑や滑稽な会話を展開していく。

 ヨーロッパの分割、イスラエルとアラブの問題、日本のカミカゼ、ナチのユダヤ人虐殺などが話し合われていくなかで、大国のエゴイズムがむき出しになる恐ろしさ。強烈なブラックユーモアの演劇だ。

 史実とのギャップを意図的に大きくするため、平田氏はスターリンとルーズベルト役に女優を起用し(チャーチル役は男優)、具体的なことは何も決まらないままに会議を進める。

 「ヤルタ会談」はもともとは柳家花緑師匠のための新作落語として平田氏が書き下ろした。演劇版は落語台本から3割を書き変えたり、書き足したりして、現在の形に至った。

 今回の1ヶ月に渡る北米ツアーでは、オクラホマ、テキサス、イリノイ州といった、アメリカ南部でも最も保守的な地域で「ヤルタ会談」と「忠臣蔵・OL編」を上演し、平田氏の緊張と心配を杞憂に終わらせたほど高く評価された。カナダでのビクトリア公演も3月10日と11日に満員の大成功を収めた。

集団の中に生きる日本人

 「忠臣蔵・OL編」は、歌舞伎でおなじみの「忠臣蔵」の中で、松の廊下の事件の一報が赤穂城に届いてから、「大評定(藩士全員での会議)」が行われるまでの右往左往の会話を「侍」ではなく、7人の「OL」が会社の社員食堂で延々と繰り広げるというコミカルな設定。

関が原から100年が経ち、完全にサラリーマン化している藩士に降りかかった大きな運命に対して、日本的なコミュニケーションの仕方で、だんだんと討ち入りへの合意がなされていくありさまが、ユーモアたっぷりに描かれている。現代っ子のOLたちの言葉づかいは、生き生きとしてリアル感たっぷりだが、セリフは外来語などのカタカナ言葉をひとつも使っていないところに、平田氏の"見事なこだわり"がある。

戦わなくなった侍が、武士道についてぎくしゃくと語り、やれ籠城だ、討ち入りだと議論はあっちこっちへふらつく。家老の大石は、自分の意見をはっきり言わず、むしろ討論のまとめ役に過ぎず、その話し合いの様子が、集団の中での典型的な日本人の行動を顕著にしていて、笑える。

北米ではすべて日本語で上演し、英語字幕を舞台セットの左右に組み込んだ形でタイミングよく客席に見せていった。また、「青年団」に1984年から所属し、「ヤルタ会談」のスターリンを演じた松田弘子さんとビクトリア大学で日本文学専門のコーディー・ポールトン教授の二人による巧みな英語翻訳のおかげで、日英の言葉の壁が無かったことも、北米ツアーが成功したカギだ。

 この「忠臣蔵」は「OL編」の他に「修学旅行編」「高校野球編」など、形を変えた作品となって日本全国でも上演されている。

現代口語演劇とは……

 今年1月から3月末まで、平田氏はビクトリア大学の客員教授として招聘され、演劇について講義を受け持った。滞在中に、「ビクトリア日本友の会」の主催により、「対話の時代に向けて」と題した講演も行った。

 大学在学中の1983年に劇団「青年団」を結成した平田氏は、西洋近代演劇の移入をもとに始まった日本の演劇は、日本語を離れた無理な文体や論理構成が横行し、俳優の演技までが歪んだ形になってしまったと批判してきた。

 日本人の生活様式と日本語を起点に、言文一致の演劇を目指した平田氏の舞台づくりは、複数の会話が同時に進行したり、役者が観客に背を向けてしゃべったり、聞き取れないほどの小さな声で話したりする特徴がある。

「人間は日々の生活の中で、大恋愛や殺人事件ばかりを繰り返しているわけではありません。人生の大半は、静かで淡々とした時間によって占められています。人間の生活はそれ自体が本来、楽しく、優美で、滑稽で、間抜けで、複雑で、豊かな様相を内包しています。その複雑な要素を抽象化しながら舞台上に再構成し、静かな生の時間を、直接的に舞台に乗せようとする試みを続けています」と平田氏は語る。

 彼の率いる「青年団」は、こうした実践的で新しい演劇理論に基づいて日本各地での公演やワークショップを続けている。そして、日本語の特徴を生かした演劇理論が、逆にオリジナルな演劇論として海外で注目を浴び、フランス、イタリア、韓国、北米、東南アジア諸国など、多くの国で大きな反響を呼んできた。

日本語と対話の時代

 日本では約20年ごとに、不況になると日本語ブームが起こる。最近は「日本語練習帳」や「声に出して読みたい日本語」といった本がベストセラーになったのは、まだ記憶に新しい。

 日本で国語が確立したのは、たかだか100年前のこと。日本語そのものは、時代とともに流動的に変化してきた。その変化を「日本語の乱れ」として識者は指摘するが、例えば「見られる」を「見れる」と言う「ら」抜き言葉に関しては、北海道や東北地方では、もともと方言として「ら」は抜いて使われている。また、「ら」を入れると、その言葉が尊敬か受身か可能かわかりにくいという欠点もある。単に「ら」抜き言葉はけしからん、と頭ごなしに批判するのはどうでしょうか、と平田氏は言う。言葉の変化には、それなりの理由があるからだ。

 日本の社会が変化してきて、現在問題になっているのは、女性の上司が男性の部下に指示する時や、若い女性看護士が中高年の男性入院患者に話す場合の適切な言葉づかいがないことである。日本語には対等に話す体系ができていないため、男勝りの命令調か、子ども相手に話すような言葉づかいになってしまうそうだ。日本語の構造そのものが、年上や男性が話す場合、有利にできているからだ。

「会話」が親しい人とのおしゃべりなら、「対話」は見知らぬ人や異なった人とのダイアログである。これまでの日本は成長型の社会で、価値観をひとつにするため、皆が欲しいもの、買いたいものは同じ傾向にあり、大事なことは誰かが決めてくれた。

 しかし、成熟型の社会になった日本は、個人の欲しい物はバラバラになり、自分たちで決めていかなくてはならない時代である。分かり合えない人間同士が、うまくまとまっていくための課題が、協調性から「対話」のできる社交性へと移っている。今、日本人に求められているのは、コミュニケーション能力、つまり実践的な国語教育が必要になってきたのである。

平田氏のワークショップの方法論は、2002年度から国語教科書の中で採用され、年間30万人以上の子どもたちが教室で演劇を創るようになった。かつて朝日ジャーナルで「新人類の旗手」と呼ばれた若者、平田オリザ氏は今後も海外公演や合同プロジェクトを含めた多角的な演劇活動を続けていくだろう。社会と演劇を接点にした、これからの新しい作品が期待される。

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平田オリザ氏 略歴

1962年 東京生まれ。「オリザ」は本名。
     ラテン語で「稲」を意味する。
1979年 16歳で都立駒場高校定時制2年を休学し、
     自転車による世界一周を敢行。
     1年半で26カ国を走破。
1986年 国際基督教大学(ICU)教養学部卒業。
1995年 「東京ノート」で第39回岸田國士戯曲賞受賞。
1998年 「月の岬」で第5回読売演劇大賞優秀演出家賞、
     最優秀作品賞受賞。
2002年 「上野動物園再々々襲撃」で
     第9回読売演劇大賞優秀作品賞受賞。
2002年 「芸術立国論」でAICT評論家賞受賞。
2003年 「その河をこえて、五月」で
     第2回朝日舞台芸術賞グランプリ受賞。
2006年 モンブラン国際文化賞受賞。桜美林大学総合文学群教授、
     大阪大学コミュニケーション・デザインセンター客員教授。
     著書、戯曲集多数。

・青年団のウェブサイト:http://www.seinendan.org/



初出:「日加タイムス」2006年4月7日号


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