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ベトナム戦争体験者 キム・フック物語

Photo by Nick Ut 1972年6月8日、アメリカ軍が落としたナパーム弾の爆撃直後にAP通信社の報道写真家ニック・ウット氏が撮ったこの写真を見た覚えがある人は多いだろう。

 全世界にベトナム戦争の悲惨さをもっともストレートに伝えた衝撃的な写真だ。後にピュリッツァー賞を受賞している。写真の中央で泣き叫びながら走る痛々しい裸の少女が、当時9才だったキムさんだ。

 キムさんはナパーム弾によって第3度の火傷を負い、サイゴンの病院に14ヶ月入院した。17回にわたる手術を受け、ケロイド状になった背中と腕は今でも季節の変わり目には痛むという。

 若い頃は「ああ、何て醜い皮膚なんでしょう。もうボーイフレンドはできっこないし、結婚だってできないわ」と悲観していた。しかし、1982年キリスト教に深く感化され、聖書を読むことで「顔と手は火傷を免れてきれいだし、爆弾が落ちたとき、足はやけどしなかったから、走って火事から生き延びることができた。感謝しなくては」と、人生を肯定的に考えるようになった。

 長い入院生活を経験したキムさんは、将来は医者となって人々を助けるのが夢だった。しかし、ピュリッツァー賞のあの写真は、彼女を一躍メディアの的にし、政府はキムさんを「ベトナム戦争のシンボル」というプロパガンダとして利用した。そこには、女学生の楽しい青春はありえなかった。絶え間ない政府からの監視の下で、彼女の自由は束縛された。

 やがてベトナム政府の要請で医学の勉学を断念したキムさんは、86年政府の派遣留学生としてキューバへ渡った。そこで同じベトナムからの留学生だったボイ・ユイ・トウアンさんと巡り会う。92年、ふたりは結婚。新婚旅行はモスクワだった。

 新婚旅行の帰り、モスクワからキューバに向かう途中、飛行機は燃料補給のため、カナダのニューファンドランドに立ち寄った。

 キムさんは、キューバには戻りたくないとずっと考えていた。空港の待合室の中をぐるぐる歩き回りながら「神様、どうか私たちをキューバに帰らせないで」と祈り続けていたという。

 給油を終えた飛行機が離陸する直前に、キムさんは夫と共にカナダへ亡命する希望を空港の移民官に告げた。「私たち、カナダに居たいんです」

 すると移民官は、こともなげに答えた。「オッケー!」 あんなに心配して気をもんだのに、あっけないくらい簡単にキムさんたちはカナダ入国した。ただし、カナダはその後、移民法を改定し、亡命者に対する永住は厳しくなったそうだ。

 「神様が私たちのスポンサーになってくれたんです」とキムさんは語る。

 着のみ着のままカナダに住むことになったふたりは、文字どおりゼロからの出発だった。現在は2人の男の子に恵まれ、ボイさんはコンピューターの仕事に就いている。トロントで幸せに暮らす毎日だ。

 96年ワシントンDCで催された退役軍人式典に招待されたキムさんは、ナパーム弾を直接投下した元アメリカ兵と対面した。

 「すまなかった。許してくれ。私にも小さな女の子がいるんだ」と泣きながら謝罪するアメリカ兵に、キムさんは「もういいのよ。あなたを許しています」と言い、涙を流して抱き合ったという。「私には、彼が爆弾を落として以来、24年間背負ってきた悲しみと罪の意識を感じることができました」とキムさんは述懐する。

 キムさんは現在、ユネスコ(国連教育科学文化機関)平和大使に任命され、世界各地を講演旅行しながらベトナム戦争からの生還者として平和を訴える一方、「キム基金」を設立し、戦争の犠牲者となる子供たちを救おうと活動している。

 「私は爆弾を落とした兵士を許しました。でもベトナム戦争のことは、決して忘れません。平和は私たちに希望をもたらします。しかし、戦争はお互いに殺し合い、すべてを破壊するだけです。私は世界に真の平和が訪れることを願い、こうして戦争の体験を皆さんにお話するのです」

 静かな口調で、しかし毅然と語るキムさんの言葉は重く心に響き、誰よりも説得力があった。

初出「日加タイムス」1999年6月4日号より


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