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トロント日系文化会館で語られた「ハンナのかばん」

 アウシュビッツ博物館から東京のホロコースト教育資料センターに貸し出された茶色い革製のかばん。かばんにはハンナ・ブレイディ、1931年5月16日(誕生日)、Waisenkind(ドイツ語で孤児)と大きく書いてある。

 センターのディレクター石岡史子(ふみこ)さんは、何とかしてハンナのことをもっと知る手がかりをつかめないかと調査を重ねた。

 約1年後に実兄ジョージさんがトロントに在住していることがわかり、彼は日本で57年ぶりにかばんと対面する。

 4月22日、トロントの日系会館で石岡史子さん、ジョージ・ブレイディさん、CBC放送のカレン・レヴィンさんによる「ハンナのかばん」のお話があった。

ハンナの足あと

 ハンナ・ブレイディは1931年チェコスロバキアのノベメストという小さな町で生まれた。3才上に兄ジョージがいた。父はボランティアの消防士でフットボールやアマチュア演劇をする活動的な人だった。母は近所の貧しい家庭に洋服や食べ物を分ける心優しい人。ハンナは母から渡される「プレゼント」の運び役を喜んで引き受けていた。町に住むユダヤ人はブレイディ家だけだったが、クリスチャンの人々と仲良く交流し、家にはいつもおしゃべりと母の手料理を楽しむ訪問客であふれていた。

 第二次世界大戦が始まり、ドイツ・ナチスの手はチェコにも伸び、母は41年の春に父は秋に相次いで捕まり、ポーランドのアウシュビッツ収容所で殺された。

 クリスチャンだった叔父がハンナとジョージを引き取ったのもつかの間、42年5月にふたりはチェコ国内のテレジン収容所へ入れられる。

 ナチスに連行される時、荷物は一人ひとつだけに制限された。ハンナは小さな茶色のかばんに洋服と寝袋を詰め込むのが精一杯だった。大好きな人形やおもちゃを入れるスペースはなかった。

 ふたりはテレジン収容所で約2年間を過ごしたが、44年にジョージだけがアウシュビッツ収容所へ移された。しかし労働力不足だったため、16才の健康なジョージは強制労働に駆り出され生き延びた。

 その1ヶ月後にハンナもアウシュビッツへ移される。兄に会えると思ったハンナはかわいらしく見えるように、いとこに髪を結ってもらった。だが、幼なすぎたハンナは、兄と再会することなく翌日ガス室へ送られた。彼女の金髪はガス室に入る前に剃られてしまう。13才の短い命だった。

石岡さんの旅路

 東京にあるホロコースト教育資料センターは、差別や偏見の愚かさ、命の尊さを学んでほしいと願って、ホロコーストの歴史を子供たちに伝える施設として1998年開館した。新宿のマンションの一室を利用した、民間の寄付金や助成金で運営するNGO(非政府組織)である。

 ホロコースト関係の書籍500冊以上、ビデオ、写真を展示し、セミナーや勉強会を提供している。テキストや展示パネルなどの教材を全国に貸し出しもする。

 石岡さんはテンプル大学の日本校を卒業。日本校では授業がすべて英語で行われるため、日本にいながら完璧な英語力が身についた。卒業後はいろいろな仕事をしたが、ホロコースト教育資料センターを東京に立ちあげる話を聞き、センターの代表に就任。石岡さんは99年10月にアウシュビッツ博物館を訪問し、子供の遺品の貸し出しを依頼した。

 実はそのちょうど1年前、ジョージ・ブレイディ氏が娘のララと共にアウシュビッツ博物館を訪ね、ハンナのかばんを探している。ところが、かばんは見つからず、写真だけが手に入った。もしもジョージがハンナのかばんを見つけ、そのまま遺品として受け取っていたら、カバンはトロントに来て、ジョージの家族の目にだけ触れ、日本へ巡ってくるはずがなかったのだ。なんという運命の展開だろう。

 2000年6月からセンターでは、ハンナのかばんや他の子供たちの遺品、ハンナがテレジン収容所で描いた4点の絵などを一般公開する。子供たちの反響は予想を上回った。

 「ハンナはどんな女の子だったの?」「どこで生まれたの?」「お父さんやお母さんはどうなったの?」

 次々に質問する子供たちに答えるために、そして石岡さん自身がハンナのことをもっと知るために、彼女は同年7月、テレジン収容所博物館を訪問した。

 収容者のリスト名から、ジョージ・ブレイディの名前と、彼がまだ生存している印を見つける。次に石岡さんはプラハのユダヤ人博物館へ行き、ジョージと一緒に収容所の部屋で寝泊まりした友人と連絡が取れ、幸運にも会うことができた。

 やっと手に入れたジョージ・ブレイディの住所を頼りに、石岡さんは手紙を書いた。それでも心の片隅では「きっと思い出したくない過去のつらい出来事だから、ジョージからの返事は来ないだろう」と思っていた。

 それから約2ヶ月後、ジョージから4枚のハンナの写真を同封した長い返事が送られてきた。石岡さんがどれほど感激したかは、CBCのラジオ・インタビューをお聞きいただければ良くわかる。

 カレン・レヴィンさんが制作したCBCのThe Sunday Editionで石岡さんとブレイディ氏のラジオ・インタビュー番組は、2001年ニューヨーク・フェスティバルで、ゴールドメダルを受賞した。以下のサイトから直接聞くことができる。http://radio.cbc.ca/programs/thismorning/sites/people/hanassuitcase_010119/hana_main.html/

平和をとどける小さなつばさ

 「2001年3月、アウシュビッツから60年近くたって、思いもよらない国、日本でハンナのかばんに再会したのは、信じられない夢のような話です。子供たちは世界を変えることができます。世界が平和でより良くなるためにも、ハンナのかばんを1000万人の子供たちに見てもらうのがゴールです」とジョージ・ブレイディ氏は語る。

 東京のホロコースト教育資料センターには、7_18才のボランティア・グループ「小さなつばさ」がある。ひとりひとりが平和のためにできることを一緒に考え、未来への平和の架け橋をかけるためにはばたこうという主旨で、ニュースレターを作ったり、こどもフォーラムの開催などの活動をする。これまでにもホロコースト生存者を招待して講演会を開いたり、杉原千畝記念館を訪れたりしている。

 今回、石岡さんと同行してトロントを訪れた栗原麻衣子さんは、「小さなつばさ」のメンバー。「ハンナのかばん」に思いを込めた彼女の創作詩を朗読した。

 「ホロコーストで虐殺された600万人のユダヤ人のうち、150万人は子供でした。日本の子供たちにとって、ホロコーストはあまりにも遠いできごとで、なかなか理解することができません。

 でも、ハンナのかばんを実際に見ると、13才だったの?私と同じくらいの女の子が・・・と急に身近に思えてくるのです。そして、子供たちはどうして殺されたの?どうしてユダヤ人が?と考えはじめ、150万人もの殺された「ハンナ」がいることを知るのです」と石岡さんは言う。

 かばんを見た子供たちからの感想文や詩、絵、千羽鶴の数々はブレイディ氏のもとへ届けられた。 CBC放送のカレン・レヴィンさんは、「ハンナのかばん」の児童書を出版した。この夏、石岡さんの翻訳による「ハンナのかばん」の日本語版がポプラ社から出版される予定だ。

ホロコースト教育資料センター
東京都新宿区大京町28 エンパイアコープ105
Tel: 03-5363-4808 Fax:03-5363-4809
Web: www.ne.jp/asahi/holocaust/tokyo/

初出「日加タイムス」2002年5月10日号


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