エッセイ

いい死に方って? 安楽死を考えるー

 夫の母(85才)がボケ始めたのでは、と気がついたのは本格的な冬を迎える11月のことだった。物忘れが著しい。5分前に食べたことを忘れる。コーヒーをいれることができない。ドアの鍵が開けられない。といった具合に、急速な精神の後退状態は、誰の目にも異常に写った。

 もともと頭の回転が早く、81才まで車を運転し、当時もアパートで一人暮らしをしていた人だけに、私たち家族は母の日ごとの変わりように驚き、うろたえた。老人性痴呆症?それともアルツハイマー症?とにかく精密検査をと、翌年の春に入院させた。

 ところが、不慣れな病院の環境は、母をますます混乱させた。夜中に病院の廊下を徘徊し転倒したおかげで、頭に大きなアザを作った。

 CTスキャン、MRI(Magnetic Resonance Imaging)の検査後、私たちを待っていたのは「脳腫瘍がすでに脳全体に広がっており、治療の見込みなし。余命6ヶ月以内」という過酷な知らせだった。

 カナダの病院は看護婦不足で、足腰のしっかりしている母は入院の必要なしということで、アパートへ戻された。そこで24時間体制でプライベートの看護婦を雇い、今まで通りの快適なアパート生活ができるようにした。しかし、かつてはドイツ語と英語の完璧なバイリンガルだった母が、やがて母国語のドイツ語でさえ言葉に詰まり、しばらくすると私たちとのコミュニケーションは完全に絶たれてしまった。

 6月下旬、意識不明になり、救急車で病院に運ばれ、それからの4週間は寝たきりの悲惨な死への過程だった。パリアティブ・ケア・ユニット(死を間近にした患者のための病棟)で、飲まず食わずの状態の母には点滴も与えられず、痛みを和らげるモルフィネと発作を押さえる薬だけが投与された。 普通のお年寄りなら、1週間と生き延びなかっただろうが、水泳と散歩で鍛えた母の心臓は最期まで正確に心拍し続けた。

 「脳腫瘍の末期患者は、どんどん眠くなっていって、最期は心臓ではなく呼吸機能が停止して亡くなるのよ。見ている家族にとっては辛いけど、本人はそれほど苦しまないから安心して」 看護婦がこう慰めてくれたが、私たち家族の胸は重苦しく痛んだ。

 母は植物人間でも脳死の状態でもなかった。自分で呼吸し、半ば意識不明でも時々薄く目を開けて、私たちの手を強く握りかえしてきた。

 だが、「母は生きている」とは思えなかった。ただ肉体がかろうじて存在していただけだ。ほんの1ヶ月前まで元気に歩き回り、よく食べていた母だけに、こんな死に方は、あまりにも無慈悲だった。 「もしも私が寝たきりになったら、注射でパッと死なせてね」 と口癖のように言っていた母に、医者である息子ですら何の手も打てなかったのは皮肉なことだ。

 4週間後、骨と皮だけに痩せ細った母は、86才の誕生日の3日前に、やっと安らかな眠りについた。この4週間は、いったい何だったのだろうと思う。じわじわと死を迎えた母と、身も心もボロボロになった見守る家族。しかも私たちには「おかあさんをもっと早く楽にしてあげられなかった」という悔いが残った。

  動物の安楽死はあっても、カナダでは人間への安楽死はいまだに違法である。カナダの場合、最高裁判所で闘って、ようやく死への鍵を手にした人はこれまでに何人かいる。しかし、気の遠くなるような時間と労力、そして費用が必要だ。

 病める本人が死に逝く道のりをより短く、より楽にと希望している場合、それえをまっとうしてあげることが、なぜ倫理的に悪なのだろう。そして「安楽死」を遂行する第三者が殺人犯扱いされてしまう理不尽な法律の壁。

 「いい死に方」を選べない今の社会は、人間の最終的な意思と威厳を尊重しているとは言えないと思う。

初出「日加タイムス」96年9月27日号



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