| 本当のバリアーフリーとは 以前、子供たちを水泳教室に参加させるため、毎週公共のプールへ通ったことがあった。そこはレジャー・コンプレックス・センターといい、アイスホッケーやスケートができるアリーナやスクォッシュ・コート、ジム、託児所、そして立派な屋内プールが完備された町立施設だ。
私は2階にあるガラス張りの見学部屋から真下に広がるプールを眺める。ちょうど同じ時間帯にふたりの我が子が泳いでいるすぐ隣りのレーンでレッスンを受けているのは、心身障害を持った子供たちだ。
親に手を引かれたダウン症の子供や車椅子に座ったままの子供たちが、それぞれプールサイドに集合する。それから子供ひとりにつき3人のインストラクターが介添えし、レッスンが始まる。インストラクターの着ているTシャツから、彼らの半分以上はボランティア員だということがわかる。
障害の度合いはさまざまだが、どの子も水の中では明るい表情で楽しそうだ。私は自分の子供たちの練習よりも、彼らの様子が気になってしかたない。
8才ぐらいの車椅子の男の子が、ある日とうとう自分で浮くことができるようになった。仰向けになっている彼のうれしさ一杯の顔が真上から見える。3人のインストラクターの声はガラス越しで聞こえないけれど、大喜びのジェスチャーだ。心の中で手をたたきながら、涙が出てきた。
公共の施設は健常者のためだけにあるのではないというカナダの理念。そしてそれをこんな小さな町立の施設ですら可能にしてしまう受け皿の大きさに、私はため息が出るほど感心する。
日本の実家のそばには「身障者スポーツセンター」と称するたいそう立派な施設がある。でも、これはよく考えてみると、どこかおかしい。日本は健常者と身障者を最初から分けて福祉対策をするようだ。
さらに私は母の葬式を思い出さずにはいられない。母親自身、第3級の身障者手帳の持ち主であり、亡くなる直前まで点訳奉仕を続けていた。また、障害者の人たちにボランティアで書道も指導していたので、母の葬儀には盲目の人や車椅子の人たちがたくさん参列した。
ところが、葬儀を行ったお寺は急な階段が建物の前面に立ちはだかり、しかも階段には手摺りすらない。父は車椅子の人たちに焼香してもらうため、寺の外に臨時の焼香場を設けた。今から思うと、身障者を完全に無視した設計に腹が立つというより、悲しくなる。でもこれが日本の現実なのだ。
子供たちが通うカナダの公立学校では、7人の車椅子の生徒がいるし、ダウン症の子供たちの特別教室もある。道路から校舎までは傾斜路が続き、もちろん建物の中にはどんな段差もない。車椅子から手が届く電気のスイッチや専用のエレベーター、広いトイレなど完璧にディスエイブル・フレンドリーな学校だ。
健康な生徒たちは普段の学校生活の中で、身障者への思いやりを学び、実際の介助の仕方を自然に身につける。
真のバリアーフリーを実践しているカナダを心から誇りに思う。
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